私が初めてプノンペンを訪れたのは今から23年前の1994年です。
ODAの事前調査で訪れたのですが、当時は電力がかなり不足をしていて郊外の街では何軒もの住宅が電気をジェネレーターからとっていました。当時カンボジアは内戦がようやく終わったところでしたので、多くの貧しい人達が首都のプノンペンに集まってきていました。
彼らは生活のため様々な商売をしていましたが、一度とてもビックリした事があります。日本人数名で中華レストランでの夕食を楽しんでいた時の事ですが、レストランの窓ガラスをコツコツとたたく音がするので何だろうかと覗いてみると、竹で編んだザルに油で揚げたたくさんのゲンゴロウを指さし、買わないかとジェスチャーをしているのです。もちろん食用として売っているのですが、こちらは普通の食事をしているところでしたので、丁重にお断りをさせていただきました。
カンボジアはフランスの影響を強く受けていたのでフランスパンが路上でよく売られていました。買って食べた記憶はありませんが、ベトナムではバインミーと呼ばれ現在ではとても美味しく提供されています。当時のカンボジアではパンだけで売られていましたので、一度も味わう機会はありませんでした。
プノンペンはカンボジアの首都ですが、中心部に日本レストランがありました。お店の名前は「銀河」といいましたが、お刺身の盛り合わせが何と100米ドルもしました。主に接待用に使われていましたが、量も少なく味もさほどではありませんでしたので、私はあまり食べた記憶がありません。
カンボジアの人達はヤギの肉をよく食べます。私も何度か食べた事がありますが、あまり脂っぽくなくあっさりとした感じです。疲労回復にいいとの事でした。ベトナムでもやはりヤギの肉が食べられていますが、炒めて食べたり野菜と一緒に鍋で食べたり、調理方法はカンボジアもベトナムも同じです。
2週間の滞在を終えプノンペン空港から帰路に着こうとした時に空港で奇跡に遭遇してしまいました。イミグレーションを通過し小さなスタンドでコーヒーを頼んだ時の事です。お姉さんにコーヒーを頼もうとしたら、そのスタンドのお姉さんは“折り鶴”を折っていました。小さな紙でゆったりと鶴を折っていたのです。日本人から教えてもらったようで楽しそうに折っていました。私はその時、本当の「クメールの微笑み」に出逢えたような気がしました。
【著者プロフィール】
三浦純一 66歳
フォーバル・ベトナムのシニアアドバイザーとして2年。主にホーチミンでの現地法人立上げ、工業団地進出支援。ベトナムでの進出支援はほとんど製造業で約7社。
サイエスト株式会社 海外進出支援サービス 「グローバル顧問」所属
http://www.globalkomon.com