フィリピンのフェルディナンド・R・マルコス・ジュニア大統領は、日・米・比の3ヵ国による防衛・安全保障協定を前向きに検討することを明らかにした。
マルコス大統領は、「長年のパートナーとの提携を促進することは、東京に訪問したフィリピンの代表団によって提起されたことの1つです。このことは、フィリピンに帰国した後に、必ず検討します。私は、この3ヵ国による関係強化は、同盟関係を強化するための継続的なプロセスの一部にすぎないと考えています。なぜなら、現状は、かなり混乱しており、危険な状況にあるからです。私は南シナ海について話しているのではありません。太平洋地域です。もちろん、ウクライナではまだ紛争が続いており、それが世界中に及ぼすかなり不穏な影響があります。つまり、3ヵ国による関係強化は、私たちの周りで起きている、あらゆる問題に対して、ある種の安定性を提供するための中心的な枠組みになると思います」との旨の見解を示した。
フィリピン政府によると、日・米・比の3ヵ国による防衛・安全保障協定は、戦略的な相互寄港と航空機の訪問、さらなる防衛装備と技術の移転、過去に移転された防衛装備に関する継続的な協力、能力構築などを通じて実施される予定であるとしている。
これらの取り組みを進めるに先立ち、フィリピン国会議員は、提案された三国防衛・安全保障協定の見直しを求め、その後、憲法の要求に従い、上院で最初に批准される必要があるとしている。
国防安全保障委員会の委員長である上院議員は、提案された3国同盟が相互に有益なパートナーシップに根ざしていることを認めたが、政府はまず自国の国益を保護することなどを指摘した。
外交委員会の副委員長で上院議員は、国の安全保障と外交問題の議題を設定する際の大統領の役割を認識しながら、上院においても、このような取り決めを微調整する機会が与えられるべきであるとの見解を示した。また、この枠気味は、SEATO(東南アジア条約機構)のような構造ではないが、自身はその起源を支持するとの旨の見解を示した。なお、SEATOとは、この地域における共産主義者の勢力拡大を阻止するために 1955 年に作成されたが、1977 年に解散された枠組みである。