香港のコンラッドホテル【コラム】

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私が初めて海外に出かけたのが、1991年12月でした。香港での国際セミナーの報告書を作成するのが目的でした。

何しろ初めての海外出張でしたので、何を着ていったらいいのかカバンは何を持っていったらいいのか全くわからない事ばかりで出かけた思い出があります。ホテルは高級ホテルのコンラッドホテルで香港島にありました。タクシーでどう行けばいいのかもわかりませんでしたので、取り合えず宿泊予約の際にホテルの車での送迎をお願いしておきました。

12月中旬の夕刻に香港の空港に無事到着です。そして何とかホテルの車を見つけたのですが、なんと赤色のリムジンカーでした。これにはかなり驚いてしまいました。チップをいくらにするかをなかなか決められず、窓の景色もほとんど記憶にありませんでした。程なくしホテルに到着しましたが、私の部屋にはクイーンサイズのベッドが二つドーンと置かれていました。窓の外には高級住宅が点在し、綺麗なテニスコートがいくつかまぶしく輝いていました。

当時は北欧の国々の携帯電話普及率が世界で一番でしたが、アジアではここ香港の携帯電話普及率が一番高かった記憶があります。北欧では真冬に自動車を運転する機会が多く、何かトラブルが発生した場合には連絡手段が必要であったため、生命を守るために携帯電話が使われていました。香港ではどうだったかと言うと、香港の人達は狭い部屋に一緒に住んでいますので、自分の部屋などは無論なく若い人達はあまり家に居る事がありません。そこでお仕事の連絡を受けるために携帯電話が必要となっていたと記憶しています。

当時の香港は食事やショッピングが本当に楽しみで、毎年のように香港へ出かけていた時期があります。1997年に香港が中国に返還をされましたが、現在迄の20年間は香港にとって必ずしも幸せな事ばかりではなかったかも知れません。昨年知り合いの方が奥様とお二人で香港へお出かけになりましたが、ホテル代も食事代もすべて高くなってしまい、楽しみにしていたショッピングも少ししかできなかったと話されていました。

2月16日が旧正月の元旦にあたりますので、たくさんの花火が香港の夜空を飾るものと思います。ペニンシュラホテルやインターコンチネンタルホテルからの素敵な夜景、そして多くの人達で賑わう夜店。昔と変わらない人々の熱気ある語らいが最高潮に達するのではないでしょうか。私が泊まったこのコンラッドホテルは以前と変わらぬ佇まいで香港島にあると思います。目まぐるしく変化する現代において変わらないものが存在するという事は素晴らしい事かも知れません。香港へまた遊びに行きたくなってしまったようです。

【著者プロフィール】
三浦純一 66歳
フォーバル・ベトナムのシニアアドバイザーとして2年。主にホーチミンでの現地法人立上げ、工業団地進出支援。ベトナムでの進出支援はほとんど製造業で約7社。

サイエスト株式会社 海外進出支援サービス 「グローバル顧問」所属
http://www.globalkomon.com

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